攻めてきた徳川軍を籠城にて打ち破った麿。
まずは家康に一泡吹かせてやった今川氏真(いまがわうじざね)ぢゃ。
評定の間に向かい昇進できるものがおらぬかと思うたが、おらず。
内政も充実し、軍備もそこそこ整った。
何度も攻められるのは危険ぢゃし、余力もできたので、
そろそろ討って出ることにいたす!
麿は合戦を選ぶ。
まずは駿河国を統一するために興国寺城を攻める!
麿、官兵衛、孫一、清正、慶次で参る。
頼廉は城の守備に置いて行く事にする。
軍団を選ぶと
あれ?
他の人の主命とかは?
…Σ( ̄ロ ̄lll)
先に主命伝達して無いと駄目なのかっ!
攻めている間は、他の家臣はお留守番ではないか。
次からは気をつけねば…。
さて、興国寺城へ到着ぢゃ。
戦闘を開始して驚いた。
意外にも北条家の北条氏規(ほうじょううじのり)軍は2210人ぢゃ。
こちらは12500人…楽勝ぢゃな。
麿は戦功を家臣に譲るべく、指示をしてのんびりしておった。
家老の官兵衛も待機ぢゃ。
他の家臣を連れてくればよかったかの?
いや、相手方の援軍が来るやもしれぬ…油断は禁物ぞ!
慶次が3番備大将隊を撃破!
続いて清正が2番備大将隊を殲滅。
孫一も負けじと5番備大将隊を片付ける。
「この勢いでもう一撃じゃ!者ども続けぃ!」と孫一が再び攻撃!
4番備隊も続けて突破した。
「やむを得ん……引け、引けいっ!」
北条氏規は退却した。
備を2つ破った孫一が戦功第一!
清正が第二、慶次が第三ぢゃ!
城に戻った。
ようやく麿は駿河国を統一したぞ。
しかし、喜んでばかりはおられぬ。
取ったばかりの興国寺城は見るも無残ぢゃった。
そういえば興国寺城は、駿府城よりも戦闘があったのぢゃから当然と言えば当然ぢゃな。
駿河国 興国寺城
所属:今川家 直轄城
城主:今川氏真
城の規模 中
兵糧 5000石
軍資金 2825貫
人口 116千人
石高 19/40千石
鉱山 43/60
民掌握率 5
防御度 26
兵士数 1000人
士気 51
訓練度 33
軍馬 0頭
鉄砲 0丁
大砲 0門
しかし、これを一つずつやっておったのではラチがあかぬ。
いつ何時、北条や武田から攻められるかわからぬ。
困っておった麿にブレーンから助言があった。
まずは攻められても、時間が稼げるように兵士と兵糧を輸送するそうぢゃ。
駿府城の物資や兵士を輸送できるそうぢゃ。
これでいくらかは凌(しの)げるであろう。
といっても駿府ものうのうとしてはおられぬゆえ、一時凌ぎなのぢゃとか。
その間に、兵を増やすのが良いようぢゃ。
官兵衛、頼廉、幽斎、高虎に「兵農分離」を。
吉継、行長、教如、長政、義宣は「軍資金調達」ぢゃ…使う分の資金は増やさねばの。
仲孝、重朝は「訓練」ぢゃ。
孫一、清正、慶次、忠興に主命は与えぬ。
なぜかというと…
………
……
…
麿と合戦ぢゃから!
先ほどの籠城戦で、徳川家を叩いておるので、おそらくは手薄ぢゃろうと判断いたした。
攻めるのは、遠江の高天神城ぢゃ!
すぐに到着した。
特に武将はおらなんだぞ。
高天神城の兵士数は4000人ぢゃ。
こちらは、身分の高くない武将も多いが、9500人と倍の兵士数ぢゃ。
麿は今回は指示だけでなく、少し手伝うことにいたす。
兵士数を減らし、城防御度を下げておくのが良いそうぢゃ。
孫一がまず備大将隊を倒したぞ。
徳川方は、3019人に減っておるぞ。
麿は再度攻撃を「あしすと」ぢゃ。
忠興が備大将隊を撃破ぢゃ。
後は見学する事にいたすぞ。
忠興が本日2度目の備大将隊撃破ぢゃ!
さらに指示だけして待機ぢゃ。
おおっ!忠興が3度目の備を破りおった。
相手の総大将の備大将が退却していった。
やはり忠興が戦功第一ぢゃ…93+50の勲功を得ておる。
第二に孫一ぢゃ。
ああっ…麿が第三に入ってしまった!
部下に任せるつもりぢゃったのに…。
特に慶次は勲功を積んで欲しかったが…37と最低ぢゃった。
なかなか主命が達成できぬゆえ、せめて合戦ならばと思うたが難しいの。
さて城に帰ろうとする麿に、ブレーンから助言があった。
連戦したほうが良いかもよ!と。
孤立しておる甲斐の下山城を奪いに行くのはどうか?というのぢゃ。
大きくない城ゆえ苦戦しないだろうし、「高天神城を取って家康の援軍がすぐには来れない」というのだ。
そしてもう一つ狙いがあったのぢゃが、それは後ほど…。
まずは、下山城へ攻め込む。
ここにも別に武将はおらなんだ。
兵も4000人で先ほどと変わらぬ。
おおっ!連戦ぢゃと士気が100を超えておるではないか!?
先ほどの戦で上がった士気はそのままというわけぢゃな。
一戦目でできるだけ士気を上げて2戦目に挑むというのも一つか…。
まずは備を攻撃して、次攻撃する家臣に「あしすと」
慶次が備を壊滅。
次からは指示のみ。
慶次が2つめの備を壊滅したぞ。
清正が備えを倒したのぢゃ。
相手が撤退してしもうたぞ。
兵士が918人ほどおったのに。
戦功第一は慶次ぢゃな。
清正、麿と続いたぞ。
城に戻る。
誰も帰ってきてはおらなんだ。
合戦で活躍した武将の昇進が可能ぢゃ。
加藤清正を侍大将、前田慶次と細川忠興を足軽大将に昇進させたぞ。
孫一と慶次に興国寺城の「訓練」、忠興は「軍資金調達」、清正が「修行」ぢゃ。
さて、「どうして下山城を奪ったか」という話なのぢゃが…
以前にも言った事があるが、羽柴家の横暴は許し難(がた)い!
支配下に入れた大名家を「滅ぶのは知らぬ」という立ち振る舞いに加え、父の仇織田信長家臣となれば、許しておけぬ。
違う意味で仇を討ってくれた明智光秀(あけちみつひで)殿を討ったというのも腹が立つ。
それに「いべんと」で随分と優遇されておった。
しかも上杉家を蹂躙しつつある。
欲しい家臣(おそらく直江兼続)のために、主家を滅ぼすなど、秀吉のやりそうなことぢゃ。
上杉家の滅亡だけでも、何とか食い止めたいと思うのぢゃ。
そこでちょっとブレーンに泣きついてみた。
何か良い知恵は無いかと。
まあ、人によっては不満もあるだろうが、反則ではないので…という事で教えてもろうた。
まず「武田」と同盟…。
これは、麿的には不服ぢゃったのだが、信玄も同盟を結んでおいて、後で破棄しておる。
目には目をぢゃ。
さて、羽柴は北陸を攻め上がっておる。
上杉家は現在、新発田城にて合戦中ぢゃが、本庄城と新発田城の二つぢゃ。
その城へ行くためには同盟を結んでおらぬゆえ、自城を通るしかない。
麿が武田と同盟することで、武田領内を通過すれば、春日山城へ行くことが出来るそうぢゃ。
その春日山城を落とし、そこを防衛線として羽柴と戦えば、上杉を守ることが可能なのぢゃと…。
あとは、徳川家と北条家の相手をしながら、同時に羽柴家も相手にする。
何なら、羽柴家と徳川家は主従属関係にあり、高天神城まで直接来ることも考えられるらしいが…。
まずは、麿は武田の躑躅ヶ崎城へ。
城へはすぐに通してくれた。
元々、仕官も考えて何度も通って仲ようしておったゆえ、武田勝頼殿はすぐに会うてくれた。
どうやら独立すると特に外交関係が悪いというのは無いようぢゃ。
麿は茶席を行い、「外交」で3000貫で「同盟」を望んだ。
「無の心」と「弁舌3」が「てぃらりん!」と鳴る?
すると、
「わかり申した。では、今日より、我が家と今川家とは同盟を結ぶことといたそう」
1586年8月 武田と同盟が成立ぢゃ。
麿は、家臣の主命が終わるまで…と思い、鉄砲の買出しに出かけるのぢゃった。
…
まとめは「
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