何も考えずに攻め込んで、さらに敵をつくった麿。
深く考えずに行動したがために家が潰れたのか…と思う今川氏真(いまがわうじざね)ぢゃ。
現在の麿、東海・甲信地方ではこのような勢力になっておるぞ。
さて、いよいよ風前の灯火(もとしび)となった徳川家をそのままにしておいたのはワケがある。
そもそも徳川家康は、松平元康(まつだいらもとやす)の名で我が今川家におった。
父の死後、独立?し大名になって、今川家を滅ぼしたと言っても過言ではない。
ぢゃが、、麿が今川家を再興し、かつての領地以上を有しておるからには、
元に戻って今川旗下で働いてもらおうと思うのぢゃ。
何やら「外交で支配下において、外交関係を最も良くして「降伏勧告」」をすれば、大名が配下になるという話を聞いたしの。
それをやってみるのぢゃ!
……
…
(゚Д゚≡゚Д゚)?
何?
なんぢゃと!?
そんな馬鹿な…。
ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
で、出来ぬと申すか?
な、なぜぢゃ?
ふむ…
ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
な、なるほどのう…。
家康はすでに羽柴家の支配下にあるのぢゃ…。
複数の大名に従属することは出来ぬという事か。
うーむ。
残念ぢゃ。
支配しておる羽柴家を滅亡させると可能かもしれんが、かーなーり時間がかかりそうぢゃのう…。
はぁ~やってられぬ。
……
…
ん!?
他に手があるのか?
…
ふむ。
麿と家康との仲とな?
二人は、随分と仲良しぢゃぞ。
配下にした後に裏切らぬように、親密度を上げなければならぬと思っておったのでな。
それに、外交時も親密度が高いと、会ってくれやすいと思うたゆえ…。
……
…
ほうっ!?
親密度が最高状態で、最後の城に追い詰めて城を落とすのか?
家康との親密度は後少しで最高ぢゃ。
今の徳川家は、城は一つしかないゆえ、攻め込んで落とせば良いのぢゃろう?
(>Д<)ゝ”了解ぢゃ!
急ぎ、家康と茶でもしにいってくるぞ。
ようやく最後のハート残りの半分の色も変わり、家康との親密度は最高ぢゃ!
急いで城に戻りぃ…
出陣ぢゃ!
家康の籠もる飯田城は兵4000人、城防御度41ぢゃ。
武将は、徳川家康、本多忠勝、井伊直政、酒井忠次、柳生宗矩ぢゃ。
まあ、麿が手を出さずとも倒せるであろう。
……
…
( ゚д゚)ハッ!
いかん!
相手を192減らすのに1040もかかっておる。
徳川 3808 対 今川 13960
城防御度41もあるが、士気85もあるようぢゃ。
麿も参戦いたす!
やはり相手も上手(うわて)ぢゃ…。
なかなか兵士数を減らす事が出来ぬ。
徳川 3247 対 今川 12952ぢゃ
ここは城防御度をしっかり減らすしかあるまい。
おおっ!
孫一が井伊直政隊を破ったぞ!
麿は柳生宗矩隊を攻撃する。
正則が柳生隊を壊滅させたぞ!
続いて慶次が酒井忠次隊の士気を0にして、敗走させておる。
全員で残った忠勝隊を攻撃ぢゃ。
麿も「五月雨撃ち」で攻撃する。
兵士数が少ないのだが、士気が高いこともあってか手ごわい。
ようやく五人目の慶次が忠勝隊を壊滅させのぢゃった。
後は家康ただ1人。
麿は後を家臣に任せることにした。
800→184になった。
もう後は問題なかろう。
身分が最も低い慶次に攻撃させた。
これにより慶次が戦功第一、麿と孫一が続いた。
さて、飯田城を落として、将の処理ぢゃ。
使えそうな武将は配下に加えるため、説得をすることにした。
後は、とりあえず開放ぢゃ。
何かと麿に意地悪ぢゃったが鉱山3の大久保長安、弓の名手内藤正成、内政の高い本多重次は、誘ってみたが「残念でござるが、拙者には仕官の望みはありませぬ」との事ぢゃ。
説得に成功したのは、
内政が得意な「土井利勝」
軍学が高い「柳生宗矩」
開墾3の「伊奈忠次」
統率と武力の高めな「鳥居元忠」
弁舌と礼法と医術が3の「板倉勝重」
全体的に能力の高めな「大久保忠世」
合戦向きの「大久保忠佐」と「渡辺守綱」
内政と外交に秀でた「本多正信」
合戦向きぢゃが他の能力も高い「井伊直政」
忍者「服部半蔵」
技能は少ないが能力は平均以上の「酒井忠次」
戦国最強と謳われる「本多忠勝」
…そして
ねくすと「東海一の弓取り」ぃ
とぉ~くぅ~がぁ~わぁ~…
家康ぅううう!!!! (リングアナ風)
おおっ!?
普通に配下に加わってくれたぞよ。
他の家臣とまったく変わらぬ対応ぢゃった。
仲良くなるまでに時間かかったのぢゃがの…。
「徳川家は滅亡しました」との忍者の報告ぢゃった。
そしてその後に…
「梟雄」の称号を得たぞ!
『梟雄』…謀叛を起こし、元いた主家を滅亡に追いつめた非情な武将に対して与えられる。闇の称号。
ほう!?
という事は、家康も『梟雄』という事ぢゃのう?
麿は、家を再興して、元家臣?を跪(ひざまず)かせただけなのぢゃが…。
( ̄ー ̄)ニヤリ
ま、「非情な男(おのこ)」というのも「はぁどぼいるど」っぽくて、モテそうぢゃしな。
気を良くした麿は、ついでに岩村城も攻め込んだ。
しかし、結構苦戦しだしたのぢゃ。
城防御度40ほどでもが、士気が100ほどあるとかなり手ごわいようぢゃ。
家臣だけではかなり時間も、兵もかかってしまうのう…。
やはり麿が手を貸せねばなるまい。
苦戦しつつも何とか勝利した。
城に戻るぞ。
官兵衛 76上昇 清洲城の防御度 106
頼廉 33千石上昇 那古野城の石高 76
数正 29上昇 那古野城の鉱山 66
康政 7上昇 興国寺城の訓練度 46
吉継 成功 修業(開墾) 31
紹運 7上昇 興国寺城の訓練度 46
直茂 6上昇 興国寺城の訓練度 40
長政 2707増加 興国寺城の兵士数 62
義宣 失敗 修業 0
宗茂 7上昇 興国寺城の訓練度 46
忠興 3108増加 興国寺城の兵士数 71
重朝 5上昇 興国寺城の訓練度 33
ある程度主命を与えて、諏訪の町へ。
元徳川家の浪人に会いにいくのぢゃ。
あれだけ嫌われておった大久保長安殿があっさりと会うてくれた。
しかも他の面々より親密度の上がりが早いぞ。
あの冷たかった時期だけが…謎ぢゃ!
まあ、配下になってくれれば良しとするぞ。
長安殿は家臣にほしいのう。
来月にまた来ようぞ!。
…
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