一時は、支配下に置いていた宇喜多と戦う麿。
裏切った者に対しては、厳しい今川氏真(いまがわうじざね)ぢゃ。
しかし、「いべんと」は彼らの気持ちと関係ない所で動いているという事も知っておる。
処断は、勢いを止めて後ほど考えようぞ。
城で報告を聞く。
如水 失敗 修業 0
家康 失敗 本多重次の勧誘 0
慶広 失敗 修業 0
数正 25上昇 駿府城の民掌握率 65
頼廉 失敗 修業 0
幽斎 44千石上昇 岸和田城の石高 101
高虎 37上昇 山形城の鉱山 85
信繁 失敗 修業 0
為信 成功 修行(鉱山) 31
昌幸 成功 修業(鉄砲) 30
宗茂 45減少 備中高松城への城破壊 54
氏郷 成功 修業(築城) 27
長政(黒田) 失敗 修業 0
吉継 成功 修業(開墾) 30
兼続 失敗 修業 0
忠興 30上昇 安土城の民掌握率 78
政宗 失敗 修業 0
行長 39千石上昇 宮津城の石高 90
氏規 失敗 修業 0
正信 3140増加 二条城の兵士数 72
正純 36千石上昇 鳥取城の石高 83
勝重 3487増加 厩橋城の兵士数 80
長安 41上昇 大浦城の鉱山 94
秀長 33上昇 松前城の鉱山 76
利勝 43千石上昇 米沢城の石高 99
繁長 失敗 修業 0
惟定 達成不能 姫路城の訓練度 0
義昌 16640貫 調達 51
重友 24上昇 仙台城の民掌握率 63
宗重 成功 修業(弓術) 30
成政 6上昇 石山本願寺の訓練度 40
宗矩 8上昇 石山本願寺の訓練度 53
信幸 3313増加 石山本願寺の兵士数 76
玄以 失敗 修業 0
勝猛 9上昇 浜松城の訓練度 60
長近 23上昇 飯田城の民掌握率 60
正綱 失敗 修業 0
嘉隆 8上昇 石山本願寺の訓練度 53
継潤 18590貫 調達 57
政勝 失敗 修業 0
郷舎 47減少 岡豊城への城破壊 59
政景 5上昇 石山本願寺の訓練度 33
景綱 成功 修業(弁舌) 30
政康 失敗 修業 0
守棟 成功 修業(算術) 27
祐光 成功 修業(弁舌) 30
六郎 18330貫 調達 56
喜明 6上昇 石山本願寺の訓練度 40
慈矩 18915貫 調達 58
俊好 6上昇 石山本願寺の訓練度 40
高継 19110貫 調達 58
重政 5上昇 石山本願寺の訓練度 33
且元 失敗 修業 0
光泰 失敗 修業 0
吉晴 失敗 修業 0
一豊 13910貫 調達 37
重能 8門 大筒購入 36
綱元 失敗 修業 0
成実 成功 修業(弓術) 27
義久 失敗 修業 0
政広 13780貫 調達 37
茂安 失敗 修業 0
准如 8門 大筒購入 36
幸長 成功 修業(弁舌) 31
長政(浅野) 失敗 修業 0
祐直 1624貫 兵糧売却 19
才蔵 1407貫 兵糧売却 19
勘兵衛 1202貫 兵糧売却 14
秀行 失敗 修業 0
朝信 失敗 修業 0
長盛 成功 修業(弁舌) 27
信康 失敗 修業 0
宗時 成功 修業(忍術) 30
盛信 失敗 修業 0
本多正信を家老に、本願寺准如を足軽大将に昇進させた。
今回から、家臣に「外交(朝廷)」を主命として与えてみる。
今の官職はお気に入りぢゃが、そろそろ高い官位も欲しいところぢゃからのう。
一通り主命を与えた。
本多忠勝の攻撃目標を宇喜多の林野城に変えておく。
さて、現在「日の本」の現状は…
大名 当主 支配力
今川家 今川氏真 33081
島津家 島津龍伯 11142
毛利家 毛利輝元 2098
長宗我部家 長宗我部元親 1692
北条家 北条氏政 1349
南部家 南部信直 860
宇喜多家 宇喜多秀家 744
となっておる。
現在敵対しておるのは毛利、長宗我部、北条、宇喜多ぢゃ。
南部と島津との関係は、可も無く不可も無く「普通」。
本来なら、敵対する大名家から攻略していくところぢゃが、ここで一つ問題が…。
支配力が、当家の三分の一とはいえ、大勢力の島津を相手にするのは大変ぢゃろう。
そこで、防護壁代わりに毛利、長宗我部を使おうと思うのぢゃ。
こちらと同盟しておれば、元々島津と戦っていた毛利と長宗我部も攻撃可能ぢゃからな。
まず、長宗我部家へ参ろう。
途中で雑賀の町にて、蜂須賀家政、糟谷武則の「勧誘」に成功した。
岡豊城に、長宗我部元親殿を訪ねる。
あっさりと「支配」に応じたぞ。
「親善」にて関係を良くしておく。
途中で「縦横家」の称号を得た。
外交+15になったぞ。
さすがに「降伏勧告」には応じずぢゃ…。
1593年1月になった。
徳川秀忠が元服したようぢゃ。
「剣豪として名高い御子神典膳殿が、名を小野忠明と改めたとのことです」との報も入った。
毛利の吉田郡山城にて、外交で毛利家も「支配」した。
城へ戻ろうとする道中で、「宇喜多の軍団が上月城に迫っております」との知らせぢゃ。
さらに、「細川忠興さまの働きにより、正五位上大宰少弐に任ぜられたとの由!おめでとうござりまする!」との報。
うむ!
見事ぢゃ忠興!
さらに真田昌幸の働きで「従四位下 弾正大弼」に任ぜられた。
さすが昌幸ぢゃ。
それにしても、連続での任官に、ちと驚きぢゃ。
支配力が高まっておったのが良かったのかのう。
…
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