PSPやPS2などのリコエイションゲーム『太閤立志伝4』の遊記録(プレイレポート) 第2弾
シナリオ1 1560年
永禄三年(1560年)五月、駿河・遠江の地に覇を唱えた戦国大名・今川義元は、桶狭間で尾張の風雲児・織田信長の奇襲にあい、まさかの戦死を遂げた。鉄壁を誇った今川・北条・武田の三国同盟も終わりを告げ波乱の予感が迫る関東に、上杉謙信も狙いを広げる。いっぽう西国では、毛利元就・島津貴久らが擡頭(たいとう)し、時代は群雄割拠の戦国から、次第に統一への気運が高まっていったのである…
某(それがし)は、丸目長恵(まるめ ながよし)。
肥後国(ひごのくに=現在の熊本)八代の生まれで、父と同じく相良家に仕え、19歳の頃に上洛し、上泉(こういずみ。あるいは、かみいずみ)信綱殿に師事し、兵法の修業に励みました。その後、師・上泉信綱が将軍足利義輝公の前で兵法を上覧した際には、相手として打太刀を努めさせて頂いた次第です。
能力は、
統率31 武力91 内政32→50 外交13→16 魅力53
技能は、
剣術3 弓術1 礼法1
といった所でございまする。
さて、某(それがし)は、今まで相良家にお仕えいたして参りました。
が、一身上の都合で、お暇を頂こうと思っておりまする。
実は、某(それがし)…
……
…
(☆∀☆)キラリン
上洛して、将軍家にお仕えしようかと思っているのです。
主君・相良義陽(さがらよしはる)は、将軍足利義輝公から偏諱(へんき)を受けており、某(それがし)も師・上泉信綱の兵法上覧の際に義輝公に拝謁しており、縁がございます。
義輝公は将軍でありながら、まずは細川晴元、そして三好長慶らと戦って、一時期京を追われたとの事。
現在は細川晴元殿とご一緒で、三好家とも和睦してはいるようですが…。
足利幕府の権威を取り戻すために、某(それがし)が少しでもお役に立てれば幸いでござりまする。
ちなみに…
『名は体を表す』と申します。
我が容姿が丸めに映るのも、名の証かと。
決して「こむ〇〇マン」ではござりませぬぞ!
近くにサンプルがあったので、そのまま流用しよ…
( ゚д゚)ハッ!
そこら辺は
m(_ _)mゴヨウシャクダサレ…
前回と比べると、少々細かい所は端折っていこうかと思っております。
あまり、書いてばかりだと疲れマスカラ…。
それでは次回スタートっ!