前々回に名勝・旧跡を探す旅(東北編)をお送りした麿。
もうそろそろ名乗らぬでも良いかもしれぬが…今川氏真(いまがわうじざね)ぢゃ。
今回は戦に出向いて全然帰ってこぬ細川藤孝(ほそかわふじたか)殿待ちを兼ねて、名勝・旧跡を探して参る。
東北は終わっておるゆえ、今回は関東ぢゃ!
常陸国「鹿島の町」からぢゃ。
「袋田の滝がございますよ。この町から北の方にいったところ…太田城の北あたりの山のふもとにあります」
ちなみに鹿島の町の宿印は「ヒバリ」であったぞ。
滝は太田城から一歩左を北へまっすぐの所にあった。分かりにくいぞ
「
袋田の滝」…日本三大瀑布の一つ。歌人・西行法師が絶賛したとの事ぢゃ。
続いて下野国「足利の町」へ向かう。
町へ入ると…
「上方で一大事でございます!」
「織田信長が暗殺されたとの事でございます!」
「な、それはまことか!?」
「はっ、謀反にございます。明智光秀が謀反を起こしました!」
「明智の謀反ぢゃと!」
「はっ、信長は、羽柴秀吉の援軍へ向かうため、京都・本能寺に滞在しておりましたが…供の人数はわずか数十名…光秀は、その隙を狙い謀反を起こした模様です。」
「それで、その後どうなった?」
「その直後、明智光秀が羽柴秀吉に討たれました!」
「なに!?」
「山崎において羽柴・明智両軍が激突。光秀は敗走途中に落ち武者狩りに逢いすでにこの世の者ではございませぬ。」
「なんと………羽柴秀吉は西国攻めをしていたのではないのか?」
「それが、本能寺の凶変を聞くや驚くべき速さで上方へ戻り、光秀を討ったとのことです。」
「ふむ……羽柴秀吉……大した武将ぢゃな。」
「今後は、羽柴の発言力が高まっていくことでしょうな…。」
その後、織田家の所領は織田家重臣たちの間で分配されることになったが……明智光秀の旧領を羽柴秀吉が受け継ぐことには誰も異論を唱えることができなかったのである……。
1578年11月14日の忍者がやってきて知らせてくれた出来事ぢゃった。
麿の父を討った織田信長が死んでしまうとは…麿の手で仇を討ちたかったのぢゃが…。
浪人の麿にはどうする事も出来ない。
この事件により、
加賀国と越前国の織田領と滝川一益殿の伊勢・志摩国「長島城」、摂津国の高山重友殿の「高槻城」、荒木村重殿の「伊丹城」で
柴田勝家家
美濃国と九鬼嘉隆殿の伊勢志摩国「鳥羽城」、別所長治殿の播磨国「三木城」が
織田信孝家
尾張国と伊勢志摩国の「安濃津城」と「大河内城」、蒲生賦秀殿の南近江国「日野城」、安藤守就殿の河内・和泉国「飯盛城」が
織田信雄家
残りは丹波国、播磨国、紀伊国、大和・伊賀国、山城国、北近江国、南近江国などは
羽柴秀吉家
となっておるぞ。
羽柴秀吉有利と見るが、摂津国を二つ柴田家に取られ、播磨国にも織田信孝家に取られておるので、他の領との繋がりが無い。早めに播磨を制圧せねば、秀吉も危うやもしれんの。
ま、今はとにかく、名勝・旧跡を探そうぞ。
麿は宿屋に入った。
女将は「華厳の滝がございますよ。この町から北北東方向へ行った山の中にあります。」と教えてくれおった。
宿印の絵柄は「下野草」ぢゃ。
宿屋から出ると旅人が話しかけてきた。
「旅の途中で大変な話を聞きました」
「羽柴さまと柴田さまが清洲で会議を開いたらしいです。」
「織田の今後について話しあったのだな」
「表向きはそうなっておりますが、実際のところは羽柴さまと柴田さまの力関係の確認といったところでしょうか。領地については今までどおりということだったようですが、跡継ぎは、三法師という子どもに決まったようです。」
「まだ元服もしていない子を跡継ぎにするとは…」
「柴田さまは織田信孝さまを推していましたから、これは羽柴さまの策略でしょう。」
「天下を奪い取る意思があるということだな。だが、柴田殿とて力を失ったわけではない。この二人の対立、しばらく続きそうぢゃな…」
1578年11月、清洲において信長亡き後の織田家の今後を討議すべく織田家の宿将たちが集まったが……この席上において、織田信長の後継者を巡り、羽柴秀吉と柴田勝家は、激しく対立した。結局、嫡孫・三法師が後継者と決まったが、この清洲会議を端緒とし、秀吉と勝家の衝突は避けられないものになっていった……。
との事ぢゃ。
麿は、外に出て華厳の滝を探す。
唐沢山城を北へ上がると見つかった。
「
華厳の滝」…日本三大瀑布の一つ。中善寺から流れる湖水が男体山から流出した溶岩壁を落下して作られる名瀑。
ここから移動しようとすると「河野家が滅亡しました」と。
どうやら毛利家が四国にまで支配を及ぼしていくようぢゃ。
次の上野国「厩橋の町」では特に名勝・旧跡は発見できず。
宿印は「焼き饅頭」であった。
下総国「佐倉の町」も同様ぢゃ。
宿印は「大和芋」。
上総国「木更津の町」も同じく無かった。
宿印は「ホオジロ」ぢゃ。
武蔵国「江戸の町」にも名勝・旧跡は無い。
宿印は「桜草」。
相模国「小田原の町」にも同じ…。
宿印は「カモメ」…なんかこれは分かる気がするぞ。
ふぅ…これで関東の調査は終了~ぢゃ!
この度は正直に言おう!
疲れてしもうたわ。
そろそろ別の事がしたくなったので、久々の小田原で蜜柑を購入する。
物価が高いのだが、5貫100文ぢゃが売値が高いので、気にしないことにした。
250個で1275貫ぢゃが…
なんと!ここで『算術3』『弁舌2』の効果が出たのぢゃ。
『算術3』のお蔭で3度交渉可能になっておる!
しかも『弁舌2』で交渉率が上がっておる。
1度目は交渉率80%になっておるぞ。
2度目で交渉率70%、3度目で交渉率60%ぢゃ。
『弁舌』を持っておらぬ時と3度交渉する時が同じとは…凄いぞよ!
3回交渉すると1275貫が892貫500文になった。
麿…かなり武将としての成長しておるぅ~。
ウレシイゾ。・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ヨチヨチ
しかし、こんなところで泣いておっても仕方ない。
すぐに物価の高い「駿府の町」へ移動ぢゃ。
10貫で売れるの。
2500貫が交渉3回で3250貫まで高くなった。
買値が892貫500文が、売値3250貫になるのぢゃから、麿の技能は大したものぞ!
所持金は7793貫800文ぢゃ。
…
まとめは「
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