前回、武力の低さを露呈し、しっかりと心を入れ替えて名勝・旧跡探しに奮闘しておる麿。
お家再興を夢見て奮闘中の「よそあた」今川氏真(いまがわうじざね)ぢゃ。
ちなみに「よそあた」は「四十路(よそじ)辺(あた)り」の略ぢゃ。
「あらふぉ~」などと「はいから」な言葉は…知らぬ、存ぜぬ!
北近江国「長浜の町」に出向いたが、特に名勝・旧跡の情報は無い。
宿印は「稲穂」ぢゃ。しかし、この札は「江北の印」となっておった…名が違うのもあるのぢゃな。
ようやくここに来て発見ぢゃ。
南近江国「安土の町」で情報が聞けたぞ。
「琵琶湖がございますよ。夕暮れの湖面の美しさには、いつも見ている私どもでさえ感動いたします。」
「この町から北北東方向に行った湖西の木の生い茂った辺りが景色の良い場所ですよ」
宿印は「石楠花(しゃくなげ)」。これも「江南の印」となっておる。
外に出て調べると「長浜の町」の西対岸に「琵琶湖」の景色が見れる場所があったぞよ。
「
琵琶湖」…日本最大の湖で、古代には淡海(おうみ)と呼ばれていた。
京都には宿が無いので、「するぅ」しようとするが、
ブレーンが言うとおりに医師宅に向かうと…
曲直瀬殿が昔の宿印を持っておって、それを麿にくれたのぢゃ。
仲良くなっておらねばならぬみたいぢゃがの。
32個ほど壮腎胆を追加購入しておいた。
所持金は10651貫400文ぢゃ。
摂津・河内国「石山の町」は情報なし。
宿印は「モズ」。名も浪速の印であった…近畿はちょこちょこ、印の名前違うの。
和泉国「堺の町」にも情報なし。
宿印は「永楽通宝」。
大和国「奈良の町」にも情報は無い。
宿印は「コマドリ」
長かったが、ようやく紀伊国「雑賀の町」で情報を得ることができたのぢゃ。
「那智の滝がございますよ。この町から南東にだいぶ行ったところです。」
「湖岬からなら北東へ少し、梶取崎からちょっと来たへ行ったあたりです。少し分かりにくいかもしれませんよ。」
宿印は「マグロ」。
確かに見つけにくいところぢゃ。うーむ何と言えばよいのか。白くなった山の一つ右を下っていくとしか…。
「
那智の滝」…日本三大瀑布の一つ。那智山に源流を発する那智川にあり、一の滝が絶景との事ぢゃ。
丹波国「亀山の町」には情報は無かった。
宿印は「松茸」ぢゃ。いい香りがするんぢゃろうの?
近畿地方最後の町、丹後国「宮津の町」でも名勝・旧跡の情報が聞けたのぢゃ。
「天の橋立がございますよ。」
「この町からほんの少し東に行ったところです。」
宿印は「イワシ」。
本当にすぐ東ぢゃった。
「
天の橋立」…日本三景の一つ。白砂に青松が映える宮津湾からの突き出した、約3km程の砂嘴(さし)。
次は中国地方ぢゃ!
因幡・但馬国「鳥取の町」では「鳥取砂丘」の情報があった。
いつまで経っても因幡(いなば)が覚えられぬ…。
「この町の西の方、鳥取のお城の側にありますよ」。
宿印は「ヒラメ」。
鳥取の町から真西、鳥取城の北西にあった。
「
鳥取砂丘」…千代川が運ぶ砂と日本海の沿岸流が運んだ砂が、風波の力により集まってできた日本最大の砂丘
伯耆国「赤崎の町」に情報は無かった。
伯耆(ほうき)と読むらしい。これも憶えにくい…。
宿印は「オシドリ」。
出雲国「松江の町」も情報なしぢゃ。
宿印は「牡丹」。
石見国「浜田の町」にも情報無し…。
宿印は「サザエ」。
長門国「赤間関の町」で「秋吉台(秋芳洞)」の情報を入手。
「この町の真東にあります。」との事ぢゃ
宿印は「フク(フグともいう)」。やはり名産が多いようぢゃの。
女将ぃ…町を一歩上に出て真東ぢゃぞ!
「
秋芳洞」…日本最大のカルスト台地。秋吉台にある鍾乳洞。
安芸国「厳島の町」で「宮島」の情報を得たぞ。
「宮島がございます。この町の北西にある桜尾城のすぐ南です。」
宿印は「鹿」。安芸も鹿が有名なのぢゃな…麿、奈良しか知らなんだぞ。
海路で少し南に出て発見ぢゃ!
「
宮島」…日本三景の一つ。海上の大鳥居で有名な厳島神社は平氏の氏神で平清盛も訪れた。
備後国「三原の町」には情報は無いぞ。
宿印は「タコ」ぢゃ。
三原の町で足利義昭さまに出合うた。麿と同じ匂いを感じるのぢゃが…。
備中国「倉敷の町」にも情報が無い。
宿印は「桃の花」であった。
備前国「長船の町」も情報が無かった。
宿印は「日本刀」とな?名刀が出た所なのであろうのぉ。
播磨の国「姫路の町」にも名勝・旧跡は見当たらず…。
宿印は「野路菊」。
中国地方最後は美作国「松山の町」ぢゃが、ここも無しぢゃった。
宿印は「ゆず」ぢゃ。麿はちょっとゆず湯とかにも憧れたりもするぞ。
ハッキリ言ってかなり疲れた…情報を探すために一つ一つ巡っていくのは骨が折れる。
しかし、実は交易品や特産品の相場も見ているので、意味はあるのぢゃ。
ただ、余りにも同じ事ばかりだと飽きてしまう。
近くに来たので「師事」をしようと思うぞ。
…
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